今から31年前。
ベルリンの壁に無数の民衆がよじ登るのをブラウン管越しに見ながら、極東のしがない十代の私もまた、歴史的瞬間に立ち会えたことに静かな興奮を覚えたはずです。ベルリンの壁といえば有刺鉄線と銃殺という陰惨なイメージしか持ち得なかった若者にとって、民衆がなにかの祭りのように嬉々としてハンマーを振るう光景は、people’s power の原風景として、その深層心理に少なからず影響したと思われます。
この民衆運動の原動力となったものの一つに、デビッド・ボウイの “Heroes” があると知ったのは、それからずいぶん後になってのこと。1987年6月6日、ボウイは西ベルリンの国会議事堂前の広場で8万人を集める屋外ライブを行いました。自らは壁に背を向け、しかし巨大なステージのスピーカーの四分の一は壁の向こう、すなわち東ベルリンに向けて。西側の文化から隔絶した東ベルリンの若者5000人がこれに呼応し、壁を仰いで稀代のスーパースターの歌声に乱舞するのを、警官隊が制止しにかかって衝突、これががきっかけとなって、東ベルリンではデモや暴動が頻発するようになり、壁の崩壊につながったといわれています。
ボウイの曲は映画にもよく使われていて、映画好きの私はほかならぬ映画でボウイを知りました。ボウイの曲に初めて戦慄させられたのは、当時若干26歳だったレオス・カラックスによって撮られた『汚れた血』において。作中、主人公の青年が恋の予感に狂気し、真夜中の街を疾駆する場面があるのですが、そこでラジオからボウイの ”Modern Love” がドンピシャのタイミングでかかる。この曲を耳にするたび、いまだに私自身の胸に恋の予感が疑似的に蘇るのですから、年の取り甲斐もありません。『汚れた血』といえば、ジュリエット・ビノシュのデビュー作となった作品で、当時彼女の恋人だったカラックスによって撮られた赤と青のコントラストの中にいる彼女の画は、異様な美しさを放つものとして映画史に燦然と輝くものでしょう。ちなみに『汚れた血』で語られるのは、敢えて要約するなら、愛のない性交で感染するSTBOという架空の疫病をめぐる若い男女の悲劇、とでもなりましょうか。
ボウイと映画、というと、ほかにも印象深いものとして、ベルナルド・ベルトルッチ監督の遺作『孤独な天使たち』、ノア・バームバック監督の『フランシス・ハ』、ウェス・アンダーソン監督の『ライフ・アクアティック』あたりがすぐさま浮かびますが、それこそ枚挙にいとまがないでしょう。ボウイの曲がビシッと決まる映画に駄作なし、といっても過言ではありません。
さて、件のボウイのベルリンライブですが、わけても “Heroes” がかかった瞬間こそ、その夜のハイライトでした。もちろんそれには理由があります。 “Heroes” はほかならぬ彼のベルリン時代に書き上げられた曲であり、そこで歌われるのは、ベルリンの壁によって引き裂かれた恋人たちなのです。
Heroes
I, I will be king
俺はキングになる
And you, you will be my queen
そしておまえはクイーンだ
Though nothing will drive them away
奴らを追っ払うなんてできないけど
We can beat them, just for one day
奴らをぶっ飛ばすことならできる、ほんの一日だけど
We can be Heroes, just for one day
そしたら俺たちは英雄さ、ほんの一日だけど
I, I wish I could swim
俺が泳げたら
Like the dolphins, like dolphins can swim
イルカのように泳げたら
Though nothing will keep us together
俺たちずっとはいっしょにいられないかもしれない
We can beat them, for ever and ever
だけど奴らを未来永劫ぶっ飛ばすことならできるかもしれない
Oh we can be Heroes, just for one day
そうさ、そしたら俺たち英雄だよ、ほんの一日だけど
What do you say now?
いまなんて言ったんだ?
I, I can remember (I remember)
俺は忘れない
Standing by the wall (by the wall)
壁際に立っていたんだ
And the guns shot above our heads (over our heads)
銃弾は俺たちの頭の上をかすめ
And we kissed as though nothing could fall (nothing could fall)
なのにあたかももう何も降ってこないかのように俺たちはキスをした
And the shame was on the other side
恥知らずは奴らのほうだ
Oh we can beat them, for ever and ever
そうさ、奴らを未来永劫ぶっ飛ばしてやる
Then we could be Heroes, just for one day
そしたら俺たちは英雄だろ、ほんの一日でも
We can be Heroes
俺たち英雄になるんだよ
We can be Heroes
俺たち英雄になるんだよ
We can be Heroes
俺たち英雄になるんだよ
Just for one day
ほんの一日だけど
ブランデンブルク門の向こうから洩れる極彩色のステージの照明を眺めながら、ロックが端的に表現する自由の味わいを、東ベルリンの若者たちがどんなに切実な思いで焦がれたか、想像に難くありません。”Heroes” の歌詞はけして陰影に富むものではありませんが、こうしたストレートな表現こそロックの真骨頂であり、群衆を奮い立たせるパワーを秘めています。
殊ボウイに関していえば、ロックとは、挑発し、疾走し、そして奔出する歓喜そのものです。
*
新型コロナウイルスの猛威は収束の兆しを一向に見せず、日夜映像で流される世界の都市は、特段霊感のあるわけでもない私にも、終末を想像させるに足る殺伐さを呈しています。これが対岸の火事であればせいぜい暗澹とするまでですが、我が国にもひたひたと押し寄せる魔の手が予感されるだけ、そこにあるのは不安、そして恐怖です。
しかしいっぽうで、人には殺伐荒寥としたものに惹かれる心性がある。廃墟に憧れるのもその表れの一つでしょう。それは死への憧憬といってもいいかもしれない。かくも人間とは複雑なものです。
このウイルス騒ぎで久方の邂逅が延ばし延ばしになっている旧い友人から、前文もなしにYouTubeのURLだけが届いて、それを開いて私はいい知れぬ衝撃を受けたのでした。モリッシーの新作のPVか、と一瞬思ったのですが、違いました。マンチェスターが産んだ伝説的なバンド The Smiths を率いたモリッシーがソロになって書いた “Every day is like Sunday” に乗せてそこに映し出されたのは、世界の都市やリゾートの、ロックダウン後の光景、まさにアルマゲドン前夜ともいうべき、なにもかも silent で grey な世界でした。欧州のYouTuber によって動画をコラージュされた、オリジナルのPVというわけです。
車一台走らないサンフランシスコのハイウエイを皮切りに、人気の絶えたルーブル美術館、同じく閑散としたタイムズスクエア…と映し出される世界各地の黙示録的光景と、木漏れ日のような明るさのメロディー、優しくなぜるようでありながら鬱々とした声、そして就中その屈折した歌詞とが、これ以上ないくらいに調和して、私は不謹慎にも瞬時に戦慄に囚われたのでした。
若き英国の幻視者は、いまから30年以上も前、極私的な体験からその歌詞を紡いだはずです。しかし幻視者であればこそ、時としてその鬱々たる内奥の謳歌は、未来を予言することになり、世界を包摂する。
Everyday is like Sunday
Trudging slowly over wet sand
濡れた砂の上をとぼとぼ歩きながら
Back to the bench where your clothes were stolen
君の服が盗まれたベンチまで戻ってきた
This is the coastal town
ここは海辺の町
That they forgot to close down
ここは閉鎖し忘れた町
Armageddon, come Armageddon!
アルマゲドンよ、アルマゲドンよ、来い!
Come, Armageddon! Come!
来い、終末戦争よ! 来い!
Everyday is like Sunday
毎日が日曜日のよう
Everyday is silent and grey
すべてが静かな灰模様
Hide on the promenade
プロムナードのほうに逃れて
Etch a postcard :
絵葉書にこう書きつける
"How I Dearly Wish I Was Not Here"
「心の底から来なければよかったと思う」
In the seaside town
海辺の町
That they forgot to bomb
爆撃し損ねた町
Come, come, come, nuclear bomb
来い、来い、来い、核爆弾待ち
Everyday is like Sunday
毎日が日曜日のよう
Everyday is silent and grey
すべてが沈んだ廃模様
Trudging back over pebbles and sand
小石と砂の上をとぼとぼ歩きながら
And a strange dust lands on your hands
そして妙な灰が君の手に舞い降りて
(And on your face) そして君の顔の上にも
(On your face) 君のお顔の上にも
(On your face) 君の顔の上にも
(On your face) 君のお顔の上にも
Everyday is like Sunday
毎日が日曜日のよう
"Win yourself a cheap tray"
「安物のトレーを当てよう」
Share some greased tea with me
油の浮いた紅茶はいかが
Everyday is silent and grey
すべては沈んだ灰模様
…海辺の町に来た目的はなんだろう。ここにいう「君」とはだれだろう。昔の恋人だろうか。違う気がします。ろくに言葉も交わさず、片想いのまま終わってしまった、心に永遠に秘めたるマドンナ、といったところでしょうか。なにかあれば、心の彼女に無性に語りかけたくなる。彼女がいまどこでなにをしているかなんて、なにも知らない、興味もない。海辺の町へは、その昔、高校時代に課外授業で来たのかもしれない。そこで「彼女」がベンチに脱ぎ捨てた服を盗まれた話を、人聞きに聞いた。そんなベンチをいつまでも覚えていて、そこに座って、リゾート地の光景を侮蔑の眼差しで眺めている。その通俗ぶりに苛立ちを隠せず、アルマゲンドンを願う、あるいは核爆弾投下を望む。世界の破滅を夢見る。ただし、その眼差しは呪詛を声高に叫ぶ荒々しさとは無縁で、そこにあるのは皮肉な薄笑い、一見するとお行儀のよい静かな手招きである…。
とまあ、想像は尽きないわけですが、映像がブランデンブルク門前の広場の静寂を映したとき、いやでも私はボウイの1987年の伝説的ライブを思い出し、人々が自由を求めて溢れた姿に覚えた感動とは全く異質の、しかしこれまた感動と呼ぶほかないいい知れぬ感情の波に呑まれたのでした。
パリ、ニューヨーク、ロンドン、ローマ、マドリード、そして東京の、新型コロナウイルスによって人間の駆逐された街のありようを目の当たりにして、まず感じたのは連帯感です。しかしそれは、デビッド・ボウイの鼓舞したそれとは完全にネガの関係にあるような、反転した一体感。絶対的孤独の共有といってもいいかもしれません。そして、ほんの一日でも王と王女になれることを信じる勇気をボウイが授けてくれたのだとしたら、モリッシーの歌声は、人間の根底的な弱さに対するレクイエムのような癒しであり、心に染み渡る。
そしてはたと思うわけです。私はなににこんなに心動かされているのだろう、と。
死の灰の降りかかる君の手。
そして君の顔。
若き日のジュリエット・ビノシュのそれのような、とてもとても美しい?
モリッシーの歌詞には、逆説的に、聴く者の、この場合ほかならぬ私にとっての、ほんとうに大切な人たちの顔を照射する力がある。そう、送られたYouTubeを観ながら、私は抱きしめたい衝動に駆られていたのです。
なにを?
世界を。目の前にある、手の届くこの世界を。
“Heroes” はロック史に輝く名曲に違いありませんが、新型コロナウイルスの脅威を眼前にした私たち人類の応援歌としてはいかにもふさわしくないでしょう。私たちはもう、キングにもクイーンにもなれない。その必要もない。無人のブランデンブルク門の前に佇み、青い空を見上げながら、どうしたらこの晴れた空を心から喜べるだろうと自問自答し、とぼとぼとベンチに戻りながら、いま自分にした問いかけこそ、人間が一生をかけて正答すべき問いなんだと得心する。
君たちにさよならもいえないまま死ぬかもしれない今なのだから。
深夜に仕事から帰ると、ウイスキーを傾けながら、何時間となくひとり“Every day is like Sunday” を聴いている今日この頃です。(F)
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