
新型コロナウイルスをめぐる現在の世界的な混乱については、ここでは敢えて「新型コロナウィルス禍(か)」と呼びたいと思います。~禍という言い方は最近メディアでもよく目にするようになりました。禍とはすなわち「わざわい」です。
「~禍」で思い出されるのは、19世紀末から20世紀初頭にかけて、中国や日本のアジア諸国の国際的台頭を危惧した西洋人たちが、その脅威をドイツ語で《Gelbe Gefahr》、英語で《Yellow Peril》と呼んだ、その翻訳語であるところの「黄禍論(おうかろん/こうかろん)」という言葉です。まさに黄禍論を地でいくように、アメリカのトランプ大統領は自身のツイートで《Covid-19》という名称は使用せず、専ら《Chinese virus 》と書いて、これはracism(人種差別)を増長するものではないかといつものように国内外で物議を醸しています。もっとも、中国は中国で政府高官が今回のウイルス騒動は米軍が関与していると発言するなど、両国の鍔迫り合いは激しさを増しており、どっちもどっちという感じではあります。
ところで日本人には「新型コロナウイルス」という名称で定着した感のあるこのウイルスの名称について、18日付のQUARTZの《Why won’t the WHO call the coronavirus by its name, SARS-CoV-2 ?》「なぜWHOはコロナウイルスをその名称であるSARS-CoV-2と呼ばないのか」というタイトルの記事が興味深い指摘をしています。
WHO(世界保健機関)が正式名称として公表した《Covid-19》は、周知の通り《Corona Virus Disease 2019(2019年型コロナウイルス病》の略。しかしこれは病名であって、その元凶となるウイルスは《Covid-19 virus》と呼ぶことをWHOは推奨しています。例えばエイズはAIDS(Acquired Immune Deficiency Syndrome 後天性免疫不全症候群)でこちらは発症後の病名、対してその原因となるウイルスはHIV(Human Immunodeficiency Virus ヒト免疫不全ウイルス)で、病名とウイルス名が区別されるのと同じです。
ただ、このWHOの呼称に対し、多くの疫学者が反発していると記事はいいます。たしかに疫学にはまったくの素人のわたしにも、《Covid-19 virus》すなわち 「2019年型コロナウイルス病ウイルス」などと同語反復する違和感は理解できます。疫学者によれば、病名を《Covid-19》とするのはまだしも、その類縁関係からするとウイルスの名称は《SARS-CoV-2》と呼ぶのが合理的である。よって、多くの専門家が《Covid-19》と《SARS-CoV-2》とを使い分けているらしいのです。むろん、これについてはWHO内でも然るべく議論がなされたようですが、かつてSARS禍に晒されたアジア諸国の国民を徒らに恐怖させるのは適切ではないとの判断から、《SARS-CoV-2》という名称は見送られたそうです。WHOはまた、疫病に名称を与えるについては、特定の国や地域、あるいは動物や植物の名を入れることは偏見を助長するのですべきではないとのガイドラインを示しているらしいのですが、これについてQUARTZ の記事は、《MERS(マーズ)》は《Middle East Respiratory Syndrome》の略、すなわち「中東呼吸器症候群」で、しっかり地域名が入ってますけど……とツッコミを入れています。ウイルス名決定については、中国に対するWHOの相応の忖度があったのではないかと記事は最後に仄めかしています。
ちなみにQUARTZ は、アメリカの老舗メディアThe Atlanticが展開する、ニュースレター配信型の情報媒体です。
コロナ禍の渦中、日本人をはじめとするアジア人が海外で暴力にさらされるニュースが後を絶ちません。アメリカでは中国系アメリカ人が大量の銃を買い込んでいるとか。来るべきパニック時にヘイトによる襲撃に備え自衛するために。黄禍論の再燃を見るようで心が痛みます。
疾風(しっぷう)に勁草(けいそう)を知る、という故事成語があります。強い風が走ってはじめて本当に丈夫な草がわかる。すなわち、困難や試練に直面した時、はじめてその人の節操の堅さや意志の強さがわかる、という意味です。新型コロナウイルス禍という試練に直面して、日本はもとより、世界は今、その節操と意志の強さを問われています。(F)
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