昨今よく耳にするようになった「メディアリテラシー」という言葉。「テレビ、新聞、ネットなどメディアにあふれる情報を正しく読む力」と定義されます。メディア側の、正しく情報を発信する能力を含めることもありますが、ここではあくまで受け手の能力に限定して話を進めたいと思います。
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去る3日、次のような見出しの記事がスマホに舞い込んできました。
「『アベノマスク』海外でも報道 マスク配布に『冗談か』」
朝日新聞デジタル版の記事です。
さて、この見出しを読んで、皆さんはどのような印象を受けますか。
普通に読めば、「アベノマスク」について海外のメディアも「冗談か」との感想を抱いている、と理解されるのではないでしょうか。ですから、この見出しを見た少なからずの日本人が、安倍首相の政策は外国人から見ても失笑ものと理解し、ほら見たことか、と歯噛したとして不思議はありません。ちなみにここでいう「海外」とは、アメリカをはじめとするヨーロッパの国々であって、万が一にも中東諸国や東南アジア諸国を思い浮かべる人はいない、もしくは極めて稀だろうと推測されます。
しかしちょっと冷静になって考えれば、一国の政策に対して「冗談か」と揶揄するような不遜な記事を書く海外メディアとはどんなものだろう、と疑問が湧いて然るべきところです。マスクの配布の是非はともかく、それについて海外(=西洋諸国)からつべこべ言われる筋合いはない、と一国民としてちょっとした義憤に駆られなくもありません。
それで件の朝日の記事を丁寧に読んでいくと、ハハン、となるわけです。
といいますのも、朝日の記事は次のように海外メディアの報道を紹介しているのです。
「『アベノマスク』――。新型コロナウイルスの感染拡大防止の一環で、安倍晋三首相が1日に布マスクを全世帯に2枚ずつ配る方針を表明すると、日本のツイッターでは、アベノミクスをもじったそんな言葉がトレンドランキングの1位になった。SNSなどで厳しい反応が相次ぐなか、『アベノマスク』は海外メディアでも取り上げられている。米ブルームバーグ通信(電子版)は2日、『アベノミクスからアベノマスクへ マスク配布策が冷笑を買う』という見出しの記事を配信。『Abenomask』の意味を、『Abe's Mask(安倍首相のマスク)』と説明し、『アベノマスク』が日本のツイッターでトレンド1位になったことを紹介した。」
注意深く読めば、米ブルームバーグ通信の記事はマスク配布施策の日本国内における反応を伝えているのみで、そこに特定のバイアス(bias 傾向、偏見)があるわけでないのは明らかです。
朝日の記事が「巧妙」なのは、その見出しの後半に「マスク配布に『冗談か』」と添えているところです。「冗談か」といったのはいったいだれなのでしょう。ブルームバーグの記者なのでしょうか。それともアメリカの有識者の何某なのでしょうか。こういう時に原典に当たるという態度はとても大切です。ブルームバーグ通信の実際の記事に目を通してみましょう。
原典となるブルームバーグの記事は、アメリカ時間2日にオンラインで配信されています。だれでも手軽に読める無料版の短い記事です。当該記事において、日本政府のマスク配布施策に対する国内の反応がかなり正確に伝えられています(殊アメリカは、日本国内の情勢について、日本人一般以上に精通しているのが常です)。そして、安倍首相が布製マスクの利点として再利用が可能であることを挙げた国会答弁を受け、記事は次のように結んでいます。
《But even some of his supporters weren’t defending him, with best-selling novelist and noted Abe follower Naoki Hyakuta mocking the plan. “Is this meant to be an April Fool’s joke?” Hyakuta asked in one tweet. “Surely there are other things they could be doing -- declaring a state of emergency, reducing sales tax to zero, handing out money or closing pachinko parlors.”》
筆者注)noted 著名な / mock 馬鹿にする / declare 宣言する / a state of emergency 非常事態 / reduce 減らす / hand out 給付する
安倍首相の支持者でさえ今回の施策について彼を擁護しない人がいるとした上で、その一人としてベストセラー作家の百田尚樹の名前を挙げ、「これはエイプリルフールの冗談か?」と彼がツイートしたことを記事は伝えています。つづけて「いかにも、非常事態宣言を出すとか、消費税をゼロにするとか、現金を給付するとか、パチンコ店を閉鎖するとか、政府はほかにやることがあるはず」と百田氏のツイートのつづきを紹介しています。
朝日のデジタル版の記事のなにが巧妙といって、ブルームバーグが事実の報道として引用した百田氏の発言を、あたかも米メディアの感想であるかのように見出しにさりげなく引用してみせた点です。「冗談か?」と失笑したのはほかならぬ日本人の一人なのであって、海外のリアクションではありません。このように、意図したとしか思えないバイアスのかかった記事を、とりわけネット上ではよく目にする気がします。
真実を正しく伝えるのが報道の務めである、とジャーナリストを自負する人物が口にするときの、時として過剰な高揚を隠しきれない口吻に触れるにつけ、いかにジャーナリズムがその理想とかけ離れた現実を生きているか、推して知るべしです。古今東西を問わず、メディアが大衆にとって中立であった試しがあっただろうか……と門外漢の一小市民として疑いたくもなります。いかに特定の勢力の代弁者となり、世論を操作しやすいものであるかは、たとえば太平洋戦争中および戦後に果たした我が国の新聞の歴史をひもとくだけでもすぐにわかります。事実の歪曲報道という点についても、いかにやらせが多いかは、やらせ問題で叩かれたテレビ番組がつい最近もいくつかありましたので、今更指摘するまでもないでしょう。
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ここでメディア批判をするつもりは毛頭ありません。メディアとはそもそもそういうものだということを確認するまでのことです。その上で、巧妙なトリックを見抜き、記事の意図(bias)がどこにあるかを読み解く。これをしもメディアリテラシーというわけですが、まずは見出しから受ける第一印象を疑うこと、そして二次引用(たとえば朝日がブルームバーグの記事を引用して記事にする類)であれば、ソース(source 出典、情報源)に直に触れ、可能な限り事実を自分の目で確かめることが、月並みな結論ではありますが、いわゆる「情報社会」を生きる上で、大切な姿勢なのではないかと思う今日この頃です。
情報が手に入りやすいということは、騙される機会もそれだけ多くなるわけですが、騙されないよう自衛する手段も、それ相応に手に入りやすいということでもあります。そのためにも、英語をはじめとする外国語を学ぶ意味はあるというものでしょう。(F)
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